Geologic map of Aratozawa Landslide

2008年岩手・宮城内陸地震地質災害調査報告

2008年岩手・宮城内陸地震によって発生した
荒砥沢ダム上流部の地すべり調査報告

山形大学地域教育文化学部生活総合学科生活環境科学コース 川辺孝幸
千葉県環境地質センター 風岡 修・香川 淳・楠田 隆・酒井 豊・古野邦雄・吉田 剛

2008年07月24日公開,2009年10月29日09時00分更新

2008年岩手宮城内陸地震による地質災害について


[目 次]
   はじめに
   地すべり地の地質の概要
   各地点での観察結果
   荒砥沢ダム上流の地すべり地域の層序
   地すべり地内の構造
   2008年岩手・宮城内陸地震による地すべりの発生要因
   おわりに
   謝 辞
   文 献
   [付]地すべり地内北縁の崖の小崩壊の崩壊過程
   関連公表論文等

[調査日]
2008年6月20日,22日,7月13日

[調査対象]
 荒砥沢ダム上流部の地すべり地内(第1図)

●はじめに
 2008年6月14日午前8時43分に,岩手県内陸南部の深さ約8kmで,M7.2の2008年岩手・宮城内陸地震が発生し,この地震によって荒砥沢ダム上流部で大規模な地すべりが発生した(第2図).頭部の崖の最大落差は148mで,移動体内のブロックの水平移動量は300m以上である(国土地理院,2008
 現地調査は,地すべり末端の道路から南縁に沿って南西縁のヒアシクラ沢沿いに西縁まで進み,そのまま北進して地すべり地北西縁までの間でおこなった(第1図).ヒアシクラ沢の合流部より北側では,地すべり地西側の壁面に不動層の露頭があり,地層の観察がよくできる.
 現地調査の結果をもとに,アジア航測HPで公開のDMC垂直写真および斜め写真,およびアジア航測提供のDMC垂直写真サンプル画像をもとに,写真判読をおこなった.
 調査および空中写真判読の結果,2008年岩手・宮城内陸地震によって発生した荒砥沢ダム上流の地すべりは,古い地すべりが地震動によって再活動したことが明らかになった.


●地すべり地の地質の概要
 荒砥沢ダム上流域には,火砕流起源で一部溶結した軽石質凝灰岩を主体とする後期中新世の小野松沢層が分布するとされている(通産省資源エネルギー庁,1976).小野松沢層は,酸性凝灰岩類,凝灰岩質シルトなどから構成される中期中新世の葛峰層を基盤として発生したコールドロンの埋積層からなる地層で,下部は,湖成および火砕流堆積物からなる葉理の発達した植物化石を含む凝灰質シルト岩,凝灰質砂岩,軽石質凝灰岩の互層からなり,上部は溶結凝灰岩からなり一部は強溶結し,しばしば柱状節理が発達する(天野ほか,2008).

第1図 地すべりの範囲を示す図 調査は地すべり地の西縁に沿って頭部までおこなった.等高線間隔5mの地形図は国土地理院発行数値地図50mメッシュより作成.



第2図 荒砥沢ダム上流の地すべりおよび崩壊


●各地点での観察結果
[南東部の地すべり末端の衝突帯]
 北西部から移動してきた地すべりブロックによって,地すべり地末端の南東部では,複数のスラストができている.スラストの発生場所は,
後述のように,地すべり発生前の状態を復元すると,もとは谷であったところであることがわかる.谷の北西側(右岸側)から押し寄せてきた移動ブロックが谷の北西向きの南東斜面に乗り上げ,押された南東側の尾根部をつくっていた地層がさらに南東側の谷の北西向き南東斜面に乗り上げ,ピギーパック型スラスト構造をつくっている(第3図−1〜3).
 これらのスラストによって押し出されて,地表では分布が確認できない移動ブロック下部の堆積物が顔を出している.不動層の露頭で観察できる砂泥互層からなる小野松沢層下部(第3図−4)よりさらに下位であると思われる塊状の淡水粘土層や,暗青灰色を呈し,ややイオウ臭を伴う礫まじり粘土層などの大小のブロックが,スラストの上盤側の場所でみられる(第3図−5,6).
 衝突帯の最南東端では,不動層である小野松沢層下部の砂泥互層が,ダム湖側の南西方向に約3m押し出されている.
 移動ブロックによって圧縮された谷からは,腐植成分を含む茶褐色の泥流が新たにできつつある谷地形を流れ下って流出し,ダム湖にパホイホイ溶岩状の表面構造をつくって堆積している(第3図−7,8).
 また,流れ下る最中には,ボブスレーのように,カーブの外側に這い上がって流下していたことを示す擦痕が谷の両側に見られる(第3図−3,7).谷の左岸側に残されている擦痕から推定される右岸側には対応するカーブがかならずしもあるとは限らず,谷地形が刻々と変化する最中に流れ下ったとみられる(第3図−8,9).
 ダム湖に面した末端付近では,北西に約20°傾斜した層理面とほぼ平行に,傾斜方向とは逆方向の条線をもつ多数の剪断面が発達している(第3図−9).

第3図−1 地すべり末端部の様子 右側の成層した部分が小野松沢層下部のやや北東に傾斜した湖沼成堆積物からなる不動層の小野松沢層下部で,北西から小野松沢層上部の軽石質凝灰岩層が,複数の北西傾斜のスラストをつくってのしあげてきている.

第3図−2 谷の北西斜面にのしあげている末端の状態 本来の谷は,約250m北西側,約50m低い位置にあった. 第3図−3 右側が不動層で,谷を挟んで左側の人の頭から約6m上位から谷の上流部にかけてスラストがある.
第3図−4 不動層の小野松沢層下部 北西に緩傾斜し,凝灰質シルトと凝灰質砂,含軽石凝灰質砂礫などの互層からなる. 第3図−5 スラストの上位に含まれる,地表の小野松沢層下部より下部から由来したとみられる厚いシルト層のブロック シルト 第3図−6 スラストの上位に含まれる,地表の小野松沢層下部より下部から由来したとみられる厚いシルト層のブロック 表面には擦痕が著しく発達している.シルトブロック直下の暗灰色の部分は,炭化の進んでいない泥質腐植層で,現世の谷埋め堆積物であったとみられる.
第3図−7 新たにできつつある谷を流れ下る低粘度の泥流.材木や土壌を含んだ低粘度の泥流で,地震動とスラストの押しつぶしによって,谷埋め堆積物が液性限界を超えて流動化したとみられる.ボブスレー状に左右の壁に乗り上げながら流れ下っている. 第3図−8 ダム湖に流出した泥流 パホイホイ状の表面のしわをつくって堆積している. 第3図−9 ダム湖に流出した泥流の奥に見えるダム湖に面するスラストの上位の地層には,北東傾斜の剪断面が多数発達している.


[地すべり地末端部から頭部までの間]
 地すべり地末端部から頭部までの間の南西縁では,地すべり移動体の断面と不動層の状態が観察できる.
 地すべりブロック側では,一般に地層および立木から推定される地表面の変形の傾斜は緩い.軽石質凝灰岩層に対して,くさび状に茶褐色〜橙褐色の礫層が入りこんでいる状態がしばしば観察できる(
第4図−1).
 復元される地すべりの運動方向からは,右横ずれの運動が起こっていることがわかる.露頭では,頭部に近い部分で西側の礫層からなる不動層から崩落してきた崩壊土砂の前面に,軽石凝灰岩層のブロックが接していることなどからわかる(第4図−2).
 ヒアシクラ沢の地すべり境界部分では堰き止め湖ができている(第4図−3).

第4図−1 軽石凝灰岩層中にくさび状に割って入る礫層 第4図−2 軽石凝灰岩層中にくさび状に割って入る礫層 第4図−3 ヒアシクラ沢にできたせき止め湖

 これより頭部までの間の地すべり移動体側では,約300mの間,礫層が延々と観察できる.礫層分布域の北縁では,軽石質凝灰岩層にアバットしている様子が観察できる.礫層の分布位置は,地形図から推定される滑落崖下の平坦面の広がる部分に対応する(
第5図−1).
 不動層側では,幅約150mのグラーベンを埋めて礫層が埋積している様子が2か所で観察できる.グラーベンを埋積する礫層の層厚はいずれも80m以上で,南側のものでは,基質が軽石質凝灰岩由来の細粒物で軽石質凝灰岩や安山岩の巨礫を含む基質の多い礫層と,軽石質凝灰岩や安山岩の巨礫を多く含む礫層の,上下2つの岩相に区別できる(第5図−2,3).このグラーベンの北縁では,礫層は約80°の急傾斜で軽石質凝灰岩層の基盤にアバットしているが,基盤の軽石凝灰岩層中には,幅約1mの範囲で複数のネットワーク状の剪断面が認められる.不整合面と並行の複数の剪断面の間をミ形に繋ぐ剪断面ができている(第5図−4,5).
 移動体側のブロックでも,不動層側のアバット不整合に対応する不整合が観察できる(第5図−6).

第5図−1 グラーベンを埋積する礫層は,急崖下の平坦面をつくる地形部分に分布していることがわかる. 第5図−2 グラーベンを埋積する礫層 基質の多い巨礫からなる下部と基質の少ない上部に2分できる. 第5図−3 グラーベンを埋積する礫層 下部には,2m以上の巨礫が点在する.
第5図−4 不動層側でみられるグラーベンを埋積する礫層(左側)と軽石質凝灰岩層(右側)とのアバット不整合 第5図−5 アバット不整合に接するの軽石質凝灰岩層には,不整合面に平行な高角度の複数の断層面があり,それらを繋ぐようにミ形の断層面が発達してネットワークをつくっている. 第5図−6 移動体側のブロックにみられるアバット不整合

[地すべり地頭部の崩落崖]
 地すべり地頭部では,北東−南西方向に伸びる高さ150m弱の南東向きの急崖と西北西−東南東方向に伸びる西南西向きの2方向の急崖があり,成層した地層の状態がよく観察できる.いずれの崖も直線的にできているのではなく,地層中に発達する節理系に支配されて,ほぼ直交する2方向に数m間隔でジグザグに連続している.



第6図 地すべり頭部のようす

 南東向きの崖では,下位から,軽石質凝灰岩層,柱状節理の発達した溶結凝灰岩層,礫層が重なっている状態が観察できる.

 下位の軽石質凝灰岩層と上位の溶結凝灰岩層との境界部からは,湧水が流出している(第7図−1).
 下位の軽石質凝灰岩層には多数の垂直方向の条線が発達している(第7図−2).また,垂直方向の破断面が発達している(第7図−3).破断面の空隙からは,流水の音が聞こえていた.
 下位の軽石質凝灰岩層は,下部〜中部では塊状でほぼ無層理であるが,上部は成層構造が見られる(第7図−4).成層構造は,白色の軽石層と細粒凝灰岩層の互層からなり,最上部は大礫〜巨礫サイズの軽石の密集層からなっている.互層部分は水成で,流水によって再移動した堆積物の可能性があり,最上部の密集層は火砕流の様相を示していることから,小野松沢層内でのコールドロン噴出の休止期をあらわしている可能性がある.
 この成層構造は緩く東に傾斜している.

 上位に重なる溶結凝灰岩層は,この成層構造を切って,ほぼ水平に堆積している.

第7図−1 軽石質凝灰岩層と溶結凝灰岩層との境界からは湧水が湧出している 第7図−2 急崖下部の軽石質凝灰岩には条線が発達し,ほぼ垂直の剪断割れ目ができている. 第7図−3 急崖下部の軽石質凝灰岩にはほぼ垂直の剪断割れ目ができている.この割れ目からは流水の音が聞こえてきていた(2008年7月13日時点).

第7図−4 軽石質凝灰岩層の上部には成層構造が発達している

 この崖の東側にある東南東に約30°傾斜したブロックでは,両者の関係が直接観察できる.このブロックでは,両者の間に,硫黄臭のする暗灰色の粘土層や泥質礫層などからなる温泉変質堆積物が狭在している(
第8図−1,2).泥質礫層中には透明なイオウの結晶が晶出している(第8図−3).

第8図−1 傾斜したブロックでみられる下位の成層した軽石凝灰岩層と上位の溶結凝灰岩層との間に挟まる温泉変質堆積物の細かい成層構造の発達した温泉粘土層と泥質礫層のブロック 第8図−2 温泉変質堆積物の泥質礫層 第8図−3 泥質礫層中に晶出している透明なイオウの結晶

 また,北東−南西方向の急崖と西北西−東南東方向の急崖の接する角の部分には,やや南傾斜で急傾斜の,幅数mの暗色のゾーンが下位の軽石凝灰岩層および上位の溶結凝灰岩層を切っているようにみられる.崩落の危険から,直接観察はできなかったが,同様な温泉変質帯のように見受けられる.

 以上のように,上位の溶結凝灰岩層が下位の軽石質凝灰岩層を削り込んで堆積していること,および,間に温泉変質堆積物の堆積のイベントが挟まれていることから,両者は不整合の関係にあると推定できる.


●荒砥沢ダム上流の地すべり地域の層序
 荒砥沢ダム上流の地すべり地域に分布する地層は,上記のような,不動層もしくはほぼ不動層とみられる地すべり地北東部の露頭およびヒアシクラ沢より北側の西縁〜北西縁の滑落崖に露出状況からは,いずれも3〜4°の緩傾斜で,南部では北東に,上流部では南西に傾斜している.

 地すべり地南東縁および北西縁の不動層の露頭および地すべり地内の地すべりブロックの岩相からは,地すべり地内の層序は,下位より,湖成の凝灰質シルトおよび凝灰質砂岩,含軽石凝灰質砂礫層の互層(層厚30m以上),火砕流堆積物からなる軽石質凝灰岩(層厚約90m),温泉変質した粘土および粘土質礫層(層厚最大3m),一部溶結した軽石質凝灰岩層(層厚約50m),複輝石安山岩の最大数mの巨礫を含む礫層(層厚最大10m),グラーベンを埋積する複輝石安山岩の最大数mの巨礫,軽石質凝灰岩および結した軽石凝灰岩の巨礫を含む礫層(層厚80m以上)に区分できる.このうち,火砕流堆積物からなる軽石質凝灰岩と一部溶結した軽石質凝灰岩層は,間に温泉変質した粘土層および粘土質礫層を挟み,緩く南西に傾斜した火砕流堆積物からなる軽石凝灰岩層を不整合に覆っている.
 これらのうち,火砕流堆積物からなる軽石質凝灰岩と一部溶結した軽石質凝灰岩層とは,下位の層理にやや斜交して重なっていることや間に温泉変質堆積物を挟むことなどから,不整合の関係にあると判断できる.

 従来の層序に照らし合わせれば,湖成の凝灰質シルトおよび凝灰質砂岩,含軽石凝灰質砂礫層の互層(層厚30m以上),火砕流堆積物からなる軽石質凝灰岩(層厚約90m)は,後期中新世の小野松沢層のコールドロン埋積層であり,不整合を挟んで重なる一部溶結した軽石質凝灰岩層は,地すべり地内には描かれていないが,地すべり地より北側には北川凝灰岩が分布しており(通産省資源エネルギー庁,1976),前期更新世(約30〜25万年前)の北川凝灰岩=池月火砕流堆積物(坂口・ 山田,1988)であると考えられる.

[小野松沢層下部]
 地すべり地南東縁の不動層として地すべり地南東縁に分布する.地すべり末端のスラストに接する部分では,北西側からの圧縮力により,南西側に3mほど押し出されて動いている.
 層厚は30m以上で,軽石質砂礫層〜砂層および凝灰質シルト層の互層からなっている.シルト層中には広葉樹の植物化石を含む.地表では地層の重なりは観察できないが,スラストの上位に乗るブロックには,層厚3m以上のシルト層のブロックが含まれており,地表で見られる小野松沢層下部の下位には,厚いシルト層が発達しているとみられる.  シルト層の直上に重なる軽石質砂礫層からは湧水が認められるが,含まれている軽石は変質もしくは風化していない.

[小野松沢層上部]
 小野松沢層上部は,火砕流起源の軽石凝灰岩層からなり,地すべり地内に広く分布している.
 層厚は,推定90m前後である.白色の軽石および火山灰から構成されており,一般に塊状無層理である.
 既述のように,上部の約20mは成層構造が発達し,特にその上部10mは白色の軽石層と細粒凝灰岩層の互層からなっていて,流水による淘汰を受けているようにみられる.最上部には層厚数mの塊状の大礫大の軽石密集層が重なっていることから,地すべり地内の小野松沢層上部は,休止期を挟んで2つの噴出ユニットに分けられる可能性がある.

[温泉変質した粘土層および粘土質礫層]
 最大層厚が約3mで,緩く傾斜した小野松沢層上部を不整合に覆って,地すべり頭部の南南西向きの崖付近に点々と分布している.硫黄臭がする地層である.
 粘土層は層厚20cm以上で,暗灰色を呈し,細かい層状構造がみられる.
 粘土質礫層は,暗黒色の細礫および軽石まじりの粘土を基質とし,軽石凝灰岩の中礫大〜大礫大の亜角礫から構成される.礫は基質支持で,不淘汰である.基質中には,緑がかった黄色の透明なイオウの結晶がみられる.

[北川凝灰岩層(池月火砕流堆積物)]
 北川凝灰岩層(池月火砕流堆積物)は,一部溶結した軽石質凝灰岩層からなる.層厚は約50mで,下位の小野松沢層上部と温泉変質した粘土層および粘土質礫層を覆って重なる.
 軽石質凝灰岩は,灰色もしくは淡桃灰色で,白色〜灰色の中礫大の軽石を含む.軽石は一般に上下にやや潰れた形状をなし,暗灰色のレンズ状に溶結して潰れている部分もある.
 本層には層理面に直交する柱状節理がよく発達している.幅数m間隔で,ほぼ直交する2方向がある.崖はこれらの節理面で剥離してできている.

[複輝石安山岩の最大数mの巨礫を含む礫層]
 複輝石安山岩の最大数mの巨礫を含む礫層は,層厚最大10mで,茶褐色のローム質土を基質とし,含まれる礫は,おもに北川凝灰岩層由来の溶結凝灰岩や小野松沢層由来の軽石質凝灰岩などの大礫大〜巨礫大の亜角礫からなり,複輝石安山岩の最大数mの巨礫を含む.地すべり地頭部の崖では,北川凝灰岩層を不整合に覆っている様子を観察できるが,旧地すべり内では,グラーベンを埋積する礫層と区別ができない.

[グラーベンを埋積する複輝石安山岩の最大数mの巨礫,軽石質凝灰岩および結した軽石凝灰岩の巨礫を含む礫層]
 本層は,複輝石安山岩の最大数mの巨礫,軽石質凝灰岩および結した軽石凝灰岩の巨礫を含む礫層からなり,古い地すべりによるグラーベンを埋積して堆積している.最大層厚は80m以上で下限は不明である,
 直接観察できる露頭では,既述のように,小野松沢層の軽石凝灰岩層のつくる高角度の斜面に対してアバットして堆積している.露頭では,基質が小野松沢層の軽石凝灰岩層の粉砕物からなり,軽石質凝灰岩や溶結凝灰岩などの巨礫からる下部と,複輝石安山岩の最大数mの巨礫,軽石質凝灰岩および結した軽石凝灰岩の巨礫を含む礫層からなる上部の2つに区分できる.
 同様な礫層は,地すべり移動ブロック内に小野松沢層の軽石質凝灰岩層を不整合に覆って地表下に広く分布しているが,前述の複輝石安山岩の最大数mの巨礫を含む礫層との区別はつかない.


●地すべり地内の構造
[地すべり地内の地質図と地質断面]  現地調査での観察をもとに,斜めおよび垂直からの撮影の空中写真から崩壊や地質分布の分布を判読して,地質図(
第9図),地質断面図(第10図)およびブロック・崩壊分布図(第11図)を作成した.
 地質断面図は,もととなる地震以降の地形断面図に加え,地震以前の地形断面図をもとに地形の変化を考慮しながら,地質断面図を作成した.地形断面図の作成に関しては,地震以前の断面図は国土地理院発行の数値地図から地震以前の地形の5mコンターの等高線図を描いて断面図を作成し,地すべり後の地形断面は国際航業公表のレーザー測量による地形図をもとに,地形図の判読が難しい部分は空中写真および現地での写真から推定して作成した.これらの地形断面でわかる各ブロックの断面上での変位,および,北部ではブロックが30°東側に転倒してホルストをつくっていることを拘束条件にして,断面での水平および垂直変位の復元を行いながら,すべり面の深度を含む地質断面図を作成した.
 地すべり地内では,地域ごとに,これらの図で示されるように,地すべり末端の衝突帯で,ピギーパック型スラストで特徴づけられる南東部,大規模なブロックからなる中央部,東西性ののこぎり状のホルスト・グラーベンで特徴づけられる北部,横ずれを伴う重力性のリストリック正断層発達する南西部,北側では引張性,南側では圧縮性の横ずれ断層で特徴づけられる北東部で,それぞれ特徴的な構造がみられる.

第9図 2008年岩手・宮城内陸地震で活動した荒砥沢ダム上流の大規模地すべりの地質図.地形図は国土地理院発行数値地図50mメッシュより作成. 第10図 2008年岩手・宮城内陸地震で活動した荒砥沢ダム上流の大規模地すべりの北西南−南東方向の地質断面(上)と復元断面図(下) 第11図 2008年岩手・宮城内陸地震で活動した荒砥沢ダム上流の大規模地すべりのブロック・崩壊分布図.地形図は国土地理院発行数値地図50mメッシュより作成.

[すべり面の深度]
 新旧の地形断面図を比較することで,地すべりによる地形変化が,南東部の地すべり末端では,地すべり以前の谷地形の部分で大きく変わっていること,中央部はほとんど標高の変化が無しに水平に移動していることがわかる.
 地すべり面は,最深部が地表面付近で中央部と北東部の間のスラストの付近で,標高約230m,深度約120m付近にあり,そこから,北東部では地表まで浅くなり,中央部から北部にかけては,北部北側のホルストにかけては700mで20mの緩傾斜で浅くなり,北部の転倒したブロックの付近でやや浅くなって,標高300m前後で地すべり地北縁に達する.  すべり面は,小野松沢層下部の中で起こっていると見られる.これは,北東部のスラストに伴って,地表で見られない厚いシルト層のブロックが押し出されていることからもわかる.

[移動体内各ブロックの移動方向]
 第12図は,2006年に撮影された地すべり前の国土地理院の空中写真から判読した道路及び植生境界と,地すべり後に撮影された国土地理院の
空中写真から判読した道路および植生境界を比較して,それぞれの部位の対応関係から,地すべり地内における水平移動ベクトルを求めた図である.第12図に示すように,ブロックの水平移動量は,中央部で南東に最大320mである.南東部では,スラストによって重複が生じるために移動量は220mと少なくなり,南東縁における地形の消失量は約250mである.
 北部では,ホルストをつくるブロックが2列発達しているが,北側のものは東側を回転中心にして,西側が30°弱反時計回りに回転している.また,このブロックは既述のように,30°の傾斜で南南東に転倒している.北部の東側では,地すべりの運動方向は,東北東方向を示しており,引張性の横ずれ断層の発達する東部に向かっている.
 北側のホルストの北および東には,地すべり前には西南西から流れてきた谷が南に方向を変える場所にあたり,深い谷が刻まれていた場所であった.東方向のベクトルを大きく持つ北部での動きは,こうした谷地形を反映しているとみられる.  中央部は,古い地すべりの北東−南西方向のグラーベンが多数発達しているが,今回は中央部で大きく2つに分断されたのみで,古いグラーベンの境界部ではずれは生じず,一体として運動したようにみられる.

[地すべり前の地質図の復元]
 上記地質断面図と同様に,地質図についても,地すべり発生以前の状態を,水平変位ベクトルをもとに復元したのが第13図である.復元した地質図では,西側の壁面で観察されたグラーベンを埋積している堆積物と移動体内の中央部に分布しているグラーベン埋積物は完全に接合する.また,地すべり発生以前の地形図で推定される古い地すべり地形の滑落崖下の平坦面の分布域に,そのままグラーベン埋積物の分布に対応することがわかる.西側壁面で観察されたグラーベン埋積物がアバットする急崖の軽石質凝灰岩層に発達する断層群は,地形図から判読できる地すべり崖地形に対応する.
 このように,地すべり後の地質図を,地すべり以前の状態に復元することによって,2008年岩手・宮城内陸地震の際に発生した地すべりは,古い地すべりの北部が,地震時にそのまま再活動したということがわかる.

第12図 道路および植生境界から求めた移動ベクトル.地形図は国土地理院発行数値地図50mメッシュより作成. 第13図 水平変位量をもとに復元した地質図と地すべり発生以前の地形図から判読した地すべり地形とリニアメントの分布.地形図は国土地理院発行数値地図50mメッシュより作成.

[北部の2つのホルスト斜面の非対称性]
 北部には,東西方向に伸びる2つのホルストがある.これらのホルストは,いずれも頂部がとがった形状をしているが,いずれも,西側が急傾斜で,東側が西側に比べると緩傾斜になっている.
 形状的には両者は類似しているが,北側のブロックは,約30°転倒していて,南斜面は東南東に傾斜する層理面に相当し,北斜面は,層理面に直交する破断面に相当する(
第14図−1,2).これに対して南側のブロックは,地層はほぼ水平で,北側,南側ともに,斜面は,崩落崖・滑落崖によって形成されている(第14図−3).
 北側のホルストは,溶結凝灰岩層より上位の地層が無くなっていて,直接不整合面直下の温泉変質堆積物がほぼ露出している.無くなった溶結凝灰岩より上位の地層は,一部は北側のグラーベンに,大部分は南隣りのホルストと隣接する位置に集まって,南隣りのホルストからの崩落物と互層して堆積している.
 このように,北側のホルストの非対称な頂部が尖った形状は,基本的には転倒したブロックの構造そのものである.不整合面より上位の溶結凝灰岩層の剥離と南側ホルストと隣接する部分への集積は,ブロックが転倒して南側ホルストに衝突することによって溶結凝灰岩に働いた慣性力によるとみられる.なお,北側のホルストの東縁付近では,溶結凝灰岩は南東方向へ移動している.慣性力に加えて,東側にあった深い谷の方向に向う重力的な運動ベクトルが働いていた結果であるとみられる.
 一方,非対称な頂部が尖った形状をつくる南側のホルストの場合には,地層はほぼ水平を保ったままであり,両側の傾斜の違いは,そのまま崩壊斜面・地すべり面の形状の違いということである.
 北側のホルストの場合からすると,滑って移動して南側のブロックに追突して停止する際には,移動していたブロックに対して慣性力が働くとみられる.従って,南側の崩壊斜面・地すべり面の形成時には,南側への慣性力が働いて水平応力が大きく働いたために剪断面が低角度になった結果であると考えられる.

第14図−1 北側のホルストを真横から見た状態 東側は層理面に沿って上位の溶結凝灰岩が剥離していることがわかる. 第14図−2 北側のホルストの東側の面上には,温泉変質堆積物が広く分布している. 第14図−3 南側のホルストは,南東にやや傾いているが,斜面崩壊の傾斜が北側が急で南側が緩やかである.


●2008年岩手・宮城内陸地震による地すべりの発生要因
 すでに述べたように,2008年岩手・宮城内陸地震によって発生した地すべりの範囲は,古い地すべりの北部に当たる場所である.
 これまで安定的であった場所で,なぜ地震によって地すべりが再活動したのであろうか.  地形的に見れば,今回の地すべりは,古い地すべり地形を開析して発達した谷地形の部分でスラストが発生していることから,古い地すべりブロックが南東側に動き出す必然的要因を持っていたということができる.しかし,地震が起きなければ,地すべりは動きださなかったかもしれない.

 2008年岩手・宮城内陸地震による地震動は,地表付近では1Gをはるかに超える垂直加速度が働いた.地表付近のすべてのものは,この重力加速度を超える垂直方向の加速度を受けて,上向きの慣性力を得た直後に地面は逆に1Gを超える加速度で逆向きの動きをする.このことによって,地表付近のすべてのものには垂直方向の強い引張力が働く.次の瞬間には強い圧縮力が働く.これらの引張と圧縮の力によって,地すべり面などの力学的に強度の低い部分では地質破壊が起こると考えられる.この地質破壊が,地すべりを再活動させる直接的な原因になっているのではないかと考えられる.

 さらに言えば,地下で地質破壊が起こると破壊が起こった部分より上位の地質ブロックは,あたかもただ乗せただけの構造の墓石のように,より下位の地質に拘束されずに,地震動の慣性力によって自由に動くことが可能になる.慣性力で上昇する地質ブロックによって,破壊された部分は負圧になり,周囲の地下水を吸い寄せる可能性がある.その次の瞬間には下降する地質ブロックによる圧縮が働いて異常に高い間隙水圧が働く可能性があり,高い間隙水圧を含んだ水と破壊された粒子とが,地すべりを活動させる潤滑剤の役割を果たす可能性がある.


●おわりに
 現地における地質調査と空中写真および地形図の解析によって,2008年岩手・宮城内陸地震による地すべりが古い地すべりの再活動であったことを明らかにした.また,地すべりの発生が強震動にあることは間違いないが,その前提として,古い地すべり末端付近で開析が進んで比較的深い谷が形成されていたことによる可能性を示した.
 しかし,すべり面の状態がどのようなものであるかを直接観察したわけではないので,地すべりをもたらした直接の要因は未解決のままである.
 今後,ボーリング調査などによって,地すべり面の状況を面的に詳しく調べることで,地すべりを動かすメカニズムの解明が待たれる.

●謝 辞
 地質図等の作成にあたり,アジア航測株式会社の千葉達朗氏には地すべり地周辺のDMC(デジタル航空カメラ)撮影のサンプル画像を提供していただいた.記してお礼申し上げる.


●文 献
天野一男・藤縄明彦・本田尚正・松原典孝(2008)岩手・宮城内陸地震 日本地質学会調査団茨城大学班報告.http://www.geosociety.jp/hazard/content0033.html.
天野一男・佐藤比呂志,1989,東北本州弧中部地域の新生代テクトニクス.地質学論集,no.32,81-96.
アジア航測株式会社, 2008,
平成20(2008)年岩手・宮城内陸地震.http://www.ajiko.co.jp/bousai/miyagi2008/miyagi_iwate.htm.
国土地理院,2008, 平成20年(2008年) 岩手・宮城内陸地震による被災地の空中写真を公開.http://www.gsi.go.jp/BOUSAI/h20-iwatemiyagi/index_h20-iwatemiyagi.html.
国際航業株式会社,2008,平成20 年6 月14 日発生岩手・宮城内陸地震被害状況速報.http://www.kkc.co.jp/social/disaster/200806_iwatemiyagi/pdf/sokuhou3.pdf.
阪口圭一・山田営三,1988, 鬼首カルデラ周辺の火砕流堆積物−いわゆる北川石英安山岩−の再検討.地質調査所報告,no. 268, 37-59.
通産省資源エネルギー庁,1976,昭和50年度広域調査報告書(栗原地域).52p.

●[付]地すべり地内北縁の崖の小崩壊の崩壊過程
 地すべり地内の崖では,頻繁に崩壊が起こっているということであるが,筆者らも調査中に小崩壊に遭遇した.崩壊の途中からの連続写真および崩壊の3分前,1分前および30秒前の写真を撮影できた.
 これらの写真からは,3分前には何も変化がなかった斜面の最上部が,1分前の写真では上端が開く3本の亀裂がみられ,この亀裂が拡大して,崩壊に至ったことがわかる.すなわち,トップリング崩壊である.また,崖の表土を除く最上部で崩壊が発生して,斜面途中の柱状節理を巻き込んで崩壊が下に向かって拡大し,最後に,植生の根っこで支えられてオーバーハングで残っていた表土が崩落した.

 次の画像は,崩落前から表土の崩落までの一連の,GIFアニメ画像(4.2MB)はこちら,AVI画像(20MB)はこちら

第15図−1 2008年7月13日16時32分の状態 第15図−2 2008年7月13日16時34分の状態 最上部に3本の上端が開く亀裂が生じている. 第15図−3 2008年7月13日16時35分の状態 最上部が崩壊し,斜面の途中を巻き込んで落下している.

(2008年7月24日記)

[関連公表論文等]


   ≪2008年岩手宮城内陸地震関連≫

[更新履歴]

    2008/07/24 18:10 公開
    2008/07/25 03:20 第8図のキャプションが他のものと重複していたのを修正
    2008/07/26 23:50 地質図・断面図のページを作成等,ページデザイン一部更新
    2008/07/27 00:25 引用文献の追加とそれに伴う記述を追加
    2009/08/15 22:30 関連公表論文を追加
    2009/10/29 09:00 関連公表論文等に変更,学会発表を追加
    2019/04/27 21:30 設置サイトの変更に伴いリンクアドレス等を修正

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